今月の法話
令和7年1月
はや一年そして一年
ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず 澱みに浮かぶ泡沫は かつ消えかつ結びて久しく留まりたるためしなし(鴨長明「方丈記」より)
まさに川に流れる水の如く過ぎ去った昨年です。師走のさなか振り返る暇もなく新たな年を迎える睦月となりました。
睦月は、「正月に親類一同が集まる、睦び(親しくする)の月」だそうです。古来、収穫の無い厳冬期は、屋内家庭の睦びの中にその幸せを確かめ合ったのでしょう。しかしながら、澱みに浮かぶ泡沫の如くそのひと時でさえも久しく続くことはないのです。
いつ何がどうなるかわからない諸行無常の世です。先の一年の計を考えるよりも、まず今できることを全力で行うことが大切だと思います。行うこと一つ一つに結果があり、その積み重ねが一年となり人生となるのです。
法然上人はその人生を、「だれもがお念仏を口に称えること」のために尽くされました。伝記には臨終病床での最後の行いが記されています。「まさしく臨終に望みたもう時~中略~眠るが如くして息絶え給いぬ。音声止まりて後、なお唇舌を動かし給う事、十余遍ばかりなり。」
声が出なくなっても尚、お口は動いておられた。お念仏を称えておられたのです。法然上人はお念仏をお称えすることの大切さを、まさに力を尽してお示し下さいました。
この一年はそのお姿を想い、日々お念仏を称え、今できることを全力で積み重ねる毎日として参りましょう。
名号十称
北海道第二 大成寺
藤井敬亮