今月の法話

令和6年10月

仏の智慧

 ある日本人宇宙飛行士が、地球をリンゴにたとえ、「我々はその皮一枚ほどの薄い大気の中で生きている」という趣旨のことを呟きました。遠く離れたところから地球を俯瞰した率直な感想でありましょう。

 お念仏の元祖様(法然上人)は、「智慧深遠」、「ただ人に非ず」等、当時の並居る名匠や碩学にして言わしめた偉人であります。ただし、それらの称讃は「リンゴの皮一枚」に生きる人間の経験や知識、つまり人の智恵による人物の評価でありました。

 元祖様の視点は、仏の眼から見た我々が、果たしてどのように映るのか?という仏サイドの視点であります。我々が知り得る宇宙をはるかに超越した仏国土から、仏の智恵に見通された人間の真の姿であります。

 「我が心に相応する法門有りや、我が身に堪えたる修行や有る」(『勅伝』第6巻)

とは、この視点に立つとき、我々は全て「凡夫」であるという、元祖様ご自身の深い洞察による発露であります。我が心を思いのまま制御したり、厳しい修行を究めたりすることはできません。ましてや自身の力で悟りを開き、この世で仏になること等、夢のまた夢不可能です。

 大医王と呼ばれたお釈迦様は、自ら覚った真理を、いわばお医者の処方箋の如く、個々の能力や特性に合わせて説かれています。いくら立派なみ教えでも、自身に適合しなければ、頭痛に目薬を呑むようなものでありましょう。

「我、浄土宗を立つる心は、凡夫の報土に生まるることを、示さんためなり」(『勅伝』同上)

 元祖様は、今からちょうど850年前、誰でも易々と報土(極楽浄土)へ生まれ、必ず成仏を果たすことのできる一宗を開かれました。それが仏サイドで選ばれた本願のお念仏であります。凡夫であるこの私のための処方箋はたった一つしかありません。ただひたすらに「なむあみだぶつ」と、仏のみ名をお称えすることに尽きるのです。

どうぞ共々に、一層のお念仏の精進に心掛けて参りましょう。

合掌 十念

滋賀 西福寺
稲岡純史

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