今月の法話

令和4年10月

仏の種

私が住んでいる岩手県盛岡市の桜の名所の1つに、盛岡地方裁判所敷地内にある「石割桜(国指定天然記念物)」があります。「石割桜」とは、大きな岩の隙間から芽を出して育った樹齢360年を越えるとても立派な桜です。

“岩の隙間”という、植物が育つにはとても不向きな場所で、重くて硬い岩に負けずに力強く芽を出して育ったこの桜は、見る人に「自分もこうありたい」という元気と勇気を与えてくれます。

“娑婆世界”という、覚りを得るには不向きな世界に生きている私たちですが、実はこの世に存在するすべての者には“仏さまになれる種(仏性)”が本来的に備わっていると言われています。

お釈迦さまは「修行をして仏性を育てれば、私と同じように覚りを得て仏になることができるのですよ。」とおっしゃっています。

しかし、その種のまわりには私たち自身がはるか遠い過去世から塗り重ねてきたとても硬くて厚い“煩悩の垢”がこびりついているため、自分の力では覚りの花を咲かせることができないでいるのが「凡夫」であり、私たちの姿なのです。

これまでの自分の人生をかえりみた時、私は自分自身の中にある仏さまになれる種に栄養を与えるどころか、汚れた煩悩の垢を種のまわりにもっともっと塗りたくるような悪い行いばかりしてきたように思います。

自分の力では覚りの花を咲かすことができない私ですが、この世に生きている限りお念仏をお称えし続け、命尽きた時には西方極楽浄土に往生させていただき、阿弥陀さまのもとで覚りの花を咲かせたいと思います。

合掌

岩手 吉祥寺
武田法應

バックナンバーを見る