今月の法話
黒こげの頭
法然上人ゆかりの岡山県誕生寺に伝わる七不思議、その中に人形浄瑠璃に使われた法然上人の頭がある。小さい御厨子に収まった黒こげの頭は見落としがちである。参拝する前にホームページで調べて気づいた。それは大正15年に上演された文楽に使われた頭であるという。
誕生寺住職、知恩院執事でもあった漆間徳定上人が、淨曲「法然上人恵月影」を書き、大阪御霊神社の境内にあった御霊文楽座で上演された。その序文には「予自からはばからず、筆を執って祖傳を淨曲に創作せり」「降誕800年記念のために筆を動かしたるに過ぎず」とある。大正15年10月4日の浄土教報(今の宗報に当たる)に大阪文楽座興行に向けての記事がある。浄瑠璃十段、第一徳守神社鳥居前の段に始まり第十御流罪の段の内容の紹介、世話をされた方、後援者が記されている。 関西一円の檀信徒の応援のもと大成功と相成った。しかし千秋楽を終えた翌日、御霊文楽座は全焼し「法然上人恵月影」文楽の諸道具は悉く焼失した。上人の頭がただ一つ焼け残っていたという。関西公演打ち上げの後は東京に興行する運びとなるはずであった。大々的に東京の人々におしえを広めると記事にはある。焼失後、再び上演されることはなかった。ただ遺されたものは淨曲「法然上人恵月影」の本、黒こげの頭である。
当時の記録は少ないが、谷崎潤一郎の饒舌録に「法然上人恵月影」の上演を見たことが記されている。「古い浄土教の思想と情操とを、ただありのままに素直に唄っているのもよかった。」「人形浄瑠璃を応用することは、百の新しき解釈を試みるよりも、遥かに有力な教化法にあるに違いない」と示唆にとむ文章が書かれている。
淨曲「法然上人恵月影」が上演された時代から百年あまり、時代は変われど、お念仏をいかに伝えていくか先人に学ぶことは多い。
南無阿弥陀仏
伊勢 蓮浄寺
堤 康雄