会長法話
あるお寺の掲示板に「なまけ者の夕方は忙しい」とあった。昼間にダラダラと怠けていると、夕方に成ったら慌てなければならぬ、人生もしかり、ダラダラうかうかと徒に日を過ごしていると、将来に後悔する。
私の座右の銘は「生きることは燃えること、仕事に燃え、奉仕に燃え、人に燃えることです」という言葉です。人生は長いようですが、うかうか暮らしているとアッという間、いま命ある内に、燃えて生きたいもの、いや年老いても一層燃えて生きるべきです。
拙寺の檀家さんで、当時八十数才のお婆ちゃんが「お和尚さん、私ら年取って何の役にも立ちません。生きてても死んでても一緒です。早くお迎えが欲しいですわ」と仰ったので、私「お婆ちゃん生きることは燃えることです。命ある限り燃えて下さいね」と云うと「私ら燃えようと思っても、枯木と一緒です」と仰った。そこで私「お婆ちゃん、枯木ほど良く燃えますよ」と申しました。
木は苗木や若木より枯木の方が良く燃えるのです。人間もしかり、年取れば取る程もえることにより、若い人への良き手本と成り、まわりに有形無形の良い影響を与えてゆけるのです。 人生燃えずにダラダラと暮らしていたら、火の付かぬ炭のようです。炭は火をつけずみ乱りに転がしておくと、手を汚し、服を汚し、物も汚しぱなしで、迷惑ばかり掛けてしまうのです。だらだらと暮す人間もしかりです。
ところが炭をひとたび火の中へ入れたら、赤赤と燃えて、人の手を暖め、部屋を暖め、人の心まで温かくしてくれるのです。人間もしかり、自分の仕事に、奉仕に燃えてこそ大いに人の役に立てるのです。
更に、お念仏の火の中に飛び込んで、お念仏に燃えますと、亡き人やご先祖のご回向が出来ると同時に、まわりの人々と共々に、やがて阿弥陀さまの来迎を頂けるのです。どうぞ今年もお念仏に燃えて参りましょう。
合掌