会長法話
浄土宗日常勤行のおはなし 六、開経偈
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い遇うこと難し、我れ今見聞し、受持することを得たり、願くは如来の真実の義を解したてまつらん」
さあ、いよいよ「おつとめ」も本題に入ってまいります。この偈文は読み下しだけでは少々難しいので、今一度分かり易く解説しますと、
「私は今、百千万劫というとてつもなく長い間生まれ替わり死に替わりしても会うことが難しい、この上ない尊いみ教え(仏法)に会うことが出来、いかなる深い因縁によってか見聞きし、この身に受け保つことが出来ました。この千載一遇の好機をのがすことなく仏さまの真実のみ教えを正しく領解したいものです」
という意味です。
皆さん人生は一期一会(一生涯でたった一度の出会い)の繰返しです。その出会いを大切にすることが私たちのつとめであり、喜びです。特に法然上人は五つの不思議(インドのサンスクリット語ではアミタといい、阿弥陀さまと頂戴する)な出会いを喜びなさいとお教え下さっています。すなわちすべては阿弥陀さまのお導きであるのです。その五つを次に述べます。
一、 受けがたき人身を受け(無数の生き物の中から人間と生まれさせて頂いた出会いを 喜ぶ)
二、 会いがたき本願に会い(阿弥陀さまのお救い、お育てに出会えた喜び)
三、 起こしがたき道心(道を求める心)を起こして(お念仏の信心に出会えた喜び)
四、 離れがたき輪廻の里を離れて(お念仏を申して諸々の苦しみを越える喜び)
五、 生れがたき浄土へ往生せん(する)こと喜びの中の喜びなり(極楽往生こそ最大の 喜び)
お釈迦さまの真実のみ教えとはお念仏であり、お念仏であり、お念仏が説かれてあるのが浄土宗のお経(三部経)そのものであるのです。これより本題に入るのですから、お念仏の有難さをかみしめつつ、「おつとめ」を学んでまいりましょう。
合掌