会長法話
有本 亮啓 前会長 第16話
浄土宗日常勤行のおはなし 八、本誓偈(回向文)
弥陀本誓願 極楽之要門 定散等回向 速証無生身
「弥陀の本誓の願は極楽の要門なり、定散等しく回向して、速やかに無生の身を証せん」
お念仏するものを必ず救うとお誓いになった阿弥陀さまの本願(親心)はみ仏の浄土へ入る肝心な入口の門です。定善(仏道修行、心を静めて行う善根功徳)、散善(世間一般の善、散り乱れた心のままで行う善根功徳)等、一切の功徳を極楽の要門に入る為に振り向けて(回向して)速やかに悟りの境地(無生)に入りましょうとの意味です。
回向とは振り向けるという事で、回向発願心ともいいます。お経の中には浄土往生の為には三心(さんじん)が備わらなければならないと説かれ、一つには至誠心(しじょうしん)、二つには深心(じんしん)、三つには回向発願心(えこうほつがんしん)といいます。
至誠心とは真実心即ちまことの心、深心とは、私は罪深い者で普通ではとても救われる器(うつわ)ではないと自分を反省し深く信じ、そんな者を目当てに阿弥陀さまだけが必ず救うて下さると、み親の本願(親心)を深く信じる心、回向発願心とはその為に一切の善根功徳を振り向ける心です。
私たちはいつも善い功徳ばかりを積むことは出来ませんが、せめて一日少しでもお仏壇の前に座らせて頂き、お念仏をはじめ読経等の功徳を、亡き人の為に、また自らの極楽往生の為に振り向けたいものです。されば毛虫がやがて蝶に成るごとく、愚かなこの私でもやがて極楽へ往生させて頂き、そして極楽で修行して仏と成らせて戴くのです。
「毛虫が蝶になる、人間が仏になる」
合掌