会長法話

勝部 正雄 前会長 第10話

似ぬは心のにごりなりけり

 勢至は、「比叡山の仏法の棟梁となれる」という阿闍梨皇円の勧めをお受けにならず、久安六年九月十二日、生年十八歳にして黒谷の慈眼房叡空上人のもとに入られました。

慈眼房叡空上人にお目にかかり、ご挨拶されたその内容は・・・
「幼稚の昔より成人の今に至るまで、父の遺言忘れ難くして、永久に隠遁の心深き由、を述べ給う」と、記されています。

勢至は、幼少の昔から成長された今まで、父・時国公のご遺言を一日も忘れることなく、その遺された御心を日々生きる基点とされたのでした。

 その心が終生、変わることのない「隠遁の意思」となったのでした。

 その「生きる基点」とは何でしょうか。「これ偏に先世の宿業也」と「父の菩提をとぶらひみずからが解脱を求には」の二点でした。

 「私が誕生した個々の環境は、たとえ兄弟姉妹であろうが異なります。なおの事、人すべてが我が願いの起こる以前に用意された環境を生きているのです。  しかし、私自身に与えてくださった生命は何人も解き明かすことはできません。

 近くは両親・祖父母の縁を遡ることができますが、そこに至った生命は何であるかを知ることはできません

その生育も、物質としての説明は可能でしょうが、その間に創造された生命の源を知ることはできません。

 「生命は創造できない」次元のものであるにもかかわらず、創造出来る次元なのだと見ているところに現代人は存在しているように思います。

 そうではなく、私と言う存在は、宿された以前の長い経緯(いきさつ)・流転を経て来た生命でした。

 その始めも分からない「無始の生命」による不可思議な存在なのです。

 そのことを人として知っていなければならないと信じます。

 生命の尊厳、人としての尊厳はその知識で覚醒します。

 他方、今日の教育は「生き物」としての理解と扱いであり、人の深い生命の尊厳にめざめることは程遠い実態です。

 事実、現代人が誕生させて頂いた身体も生命も、生きる環境も生きてきた自己の経歴も時代社会も、すべて「これ偏に先世の宿業也」によるところであって、それを謙虚に素直に受け入れ深く心を宿すところに人としてのめざめがあったはずです。

 さらに、「菩提を弔い・解脱を求め」とは、どのような意味なのでしょうか。
 「菩提」とは、佛の悟りを得ようとする生き方であり、私自身を存在させてくださった無限の生命への祝福と幸福を願い祈ることを申します。

 ところが、人であるかぎり、生命の深いところから、根強く身体すべてに張り巡らしている「妄執・煩悩・流転・輪廻」があります。その煩悩から解き放たれ、そこから抜け出すことも解脱と申します。

 私たちに与えていただいている佛道には、また、志を秘めて歩もうとしている佛道には、この二本の軌道があることを「忘れ難くして」歩まなければならないと願うところです。

 未完成であるからこそ、そこに「日々に精進」の道が用意されているのです。
 この軌道から、踏み外している足に気づく日々でありたいと心えたいものです。

 勢至が師の叡空上人を求められた黒谷への道には、その気魄が満ちあふれておられたのではないでしょうか。

 恥ずかしいかな、私自身は、それとは何と離れた道を迷いながら歩んでいることか、恥じ入るばかりです。
  せめてとは
はちすの花を植えてみれど
似ぬは心の にごりなりけり

合掌

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