会長法話
「おのれの愛しいことを知るものは他のものを害してはならぬ
―ハシノク王とマツカリの話から―」
お釈迦様の佛法をよく聞かれたお方にハシノク王がおられた、そのお后の名はマツカリ。
ある時、ハシノク王はマツカリに「あなたはこの世の中で誰が一番大事に思うか」と尋ねられた。
「王様さまあなた様が一番です」とお后マツカリは答えてくれるものと王は期待していたが、お后マツカリはしばらく考えたあげく「私にとって王様も子どももこの国も大事ですが、つきつめて考えると私自身が一番大事です」と答えた。
それを聞いたハシノク王は少しがっかりされたが「そうか自分が一番大事か、そう言われてみると私も自分が一番大事だと思う」とおっしゃられた。
しかし平生、お釈迦様は自分の周りの人を大切にするようにと教えられているのに自分が一番でよいのだろうか、お釈迦様におたずねしてみようと訪ねて行かれた。
二人の話を聞いてお釈迦様はおっしゃった。
「人のおもいはいづこへおもむこうと、人はおのれより愛しいものを見出すことはできぬ。自分が一番でよい」と仰せになられた。
たとえば一枚の集合写真があるとしましょう。
誰でもまず自分の写っている顔を探すでしょう。
そして自分がよく写っているとよい写真、うまく写っていないと悪い写真となる。
そんな写真一枚でさえ、自分中心にしか考えられない「我愛」というものが私たちにはある。それでお釈迦様はまず人間の本能ともいうべき「我愛」を見据えなさいと。
自分の思いが満たされなかった時の心の痛み、苦しみ、悲しみをしっかり見据えなさい。 これが慈悲への第一歩であると。
次にそれと同じく、他の人々も皆自分がこの上もなく愛しいと思っているのだと目を転じなければならないと。 さればおのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬと教えられたのです。
つまるところ自分が大事だからこそ人を思いやれるのだと教えておられるのです。
今の社会を振り返りみるとき、お釈迦様のこの教えが人々の心に残っていれば連日起こっている残酷きわまりない殺人事件も防げることでしょう。
私達佛教徒は、お釈迦様のみ教えを心の拠り所として、日々生活してゆきたいものです。
合掌 南無阿弥陀仏