会長法話
『朝顔は闇の底に咲く』
作家五木寛之さんが「朝顔は闇の底に咲く」を書いておられる。その中に、中学生の頃から朝顔日記をつける生物学好きの少女 貝原純子さんのことが紹介されている。貝原さんは高校・大学と生物学を一生懸命学び、卒業した後も朝顔の研究を続けています。
彼女の疑問は「どうして朝顔は朝になって、あの大輪の花をきちんと咲かせるのだろうか」と言うことでした。
それは、気温の変化のせいであろうか、光のせいであろうか、いろんな方法で実験するのですが、なかなかわからない。ずっと一定の温度の中に置いても、あるいは四六時中光を与えつづけていても朝顔のつぼみはなかなか開かなかった。
そしてそのあとに彼女が考えついた仮説が付け加えてありました。そこにはこう書いてありました。「アサガオの花が開くためには、夜の暗さが必要なのではないかと考えた。」つまり、アサガオが朝開くのは、夜明の光とか暖かな温度のせいではない。夜明け前の、冷たい夜の時間と闇の濃さこそが必要なのだ。
アサガオは夜の闇の中で花を開く準備をするのだ。
朝顔を人生に置きかえるのは少し飛躍がありますが、私達が、希望という大輪の花を咲かせるのは、かならずしも、光の真っただなかでも、暖かい温度でもない、冷たい夜と濃い闇のなかに私たちは、大輪の花という希望を咲かせるのだ。夜の闇こそ花が咲くための大事な時間なのだと私は考えました。と書いておられます。
私たちの人生には思いにまかせぬことが多々あります。家庭のこと自分や家族の健康、それに社会は矛盾だらけです。
これはマイナスの一面であります。それに対してそんなマイナス思考ではだめだ、もっとプラス思考でと声高に叫ぶ人が多くいます。書店にもそんな本が並んでいます。
しかし、人生が順風の時はプラス思考もよいでしょうが、いつまでもプラス思考がつづかないのも事実です。
マイナス思考の極限におりたった時、お念仏を申す人は、阿弥陀さまの広大なお慈悲の光明がさしこんできて、本当に充実した生となるのです。
究極のマイナス思考が絶対的な仏の光に出合った時、究極のプラス思考と転換されるのです。
そのためには、お念仏を申す生活をすることが絶対条件です。
大いなる歓びは、いつわりなく自己を凝視し不十分きわまりない自己を発見するところから始まります。そこに仏のお慈悲の光がさしこんでくるのです。お念仏の生活をいたしましょう。
「かくばかり 契(ちぎ)りまします 阿弥陀佛 知らであまたの 年を経(へ)りけり」
合掌 南無阿弥陀仏