会長法話

中村 晃和 前会長 第16話

「おひがんによせて『いろは歌』にこめられた意味」

 現在は五十音が学校で教えられている。
  五十音には何の意味もなく単なる語の羅列である。
 明治以前「いろは歌」が使われて、手習いにも使われていた。明治以降五十音が使われるようになり、日本人は大切な精神をなくしてしまった。
「いろは歌」は、七五調四行の歌で仏教精神の真髄を余すことなく歌いこんでおり、日本人は千年もの間、日常の暮らしのそちこちに「いろは」を当てはめ、なじんできました。
 「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為(うい)の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔(よ)いもせず」
(花は色美しく咲き匂っても、時が来れば散ってしまうように、人の世も、わが思いのままになること難く、何もかも移り変わる。それだから我執の迷いを迷いと知り浮世の煩悩の境地から逃がれ、ひたすら仏様にすがって彼岸をめざそう)
 つまり人生の無常を深く感じ、有為とは煩悩にみちあふれた迷いのこの世のことで、有為に対して無為(むい)という言葉があり、その意味は、迷いの煩悩を離れた常楽の「ひがん」をめざすことこそ人生の目的であることを四十七文字からなる「いろは歌」にみごとに詠みこんでいるのである。
 ひがんをむかえるにあたって「いろは歌」をもう一度味わってみたいものです。

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