会長法話

中村 晃和 前会長 第28話

 杉山平一さんに「生」という詩があります。
 「ものをとりに室(へや)に入ってきて何をとりに来たのか忘れてもどることがある
 もどる途中でハタと思い出すことがあるがその時はすばらしい」
 私もときどきそんなことがあります。
 用があって室へ入ったのだが何をしに入ったのかふと忘れることがあり、しばらくしてアアそうだと思い出すことがあります。
 これに続く詩が大切です。
「身体が先にこの世に出てきてしまったのである その用事は何であったのか いつの日か思い当たることのある人は幸福である 思い出せぬまま 僕はすごすごあの世へもどる」
 自戒をこめた詩でありますが、すごすごとあの世へもどっていいものでしょうか。

 人生には三大疑問があるといわれます。
①人間 どこからきて ②何をするためにこの世にきて ③いのちおわってのちどこへゆくのか?
この三つの疑問を解決するのが真の宗教であると言われています。
 「私はお念佛を申して阿弥陀様のお迎えをいただいて西方極楽浄土へ往生させていただくのである。」と答えられる人は結構であります。
 去る十五年程前に実施された国連の調査で「あなたは自分の死をみつめたとき何を一番たよりにしますか。」というのがありました。


 ①家族 ②親友 ③財産 ④信仰この四つから順に選びだして下さいとのことでした。
 欧米では八十五%の人が?信仰 つまり神を頼りにすると答えており、そのあと①家族 ②親友 ③財産の順になっていますが、わが国では③財産を頼りにするが一番多く次に①家族 ②親友で、④信仰を頼りとするは五%にすぎないという結果でした。まことに寂しい結果で日本の宗教事情がうかがいしれます。
 わが国では、飛鳥時代から「彼岸会」がつとめられ平安時代桓武皇帝の時代に「阿弥陀経の若一日―若七日」をとって七日間と定められました。
 「彼岸」とは字の通り彼の岸、つまり西方極楽浄土のことであります。西方極楽浄土をめざして一週間仏道にはげみ祖先に感謝し、お念仏精進させていただく期間が彼岸であります。
 共々「ひがん」の精神に立ちもどらせていただきたいものです。

合掌

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