会長法話
浄土宗日常勤行のおはなし 十五、念仏一会(ねんぶつ いちえ)
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥仏 ・・・・・・・・・・」
念仏一会とは鉦鈷(しょうこ)(ふせがね)又は木魚に合わせてお念仏を数多くお称えすることです。何遍お称えするかは、その時々で異なりますが、普段のお勤めでは、出来れば百遍以上はお称えしたいものです。
お念仏の数をとるには、お数珠を用います。遠い昔のお祖師方は小豆念仏と言って、小豆や豆を使って数をかぞえたようですが、法然上人のお弟子であった阿波介(あわのすけ)という人が現在、浄土宗で使用している二連数珠の原形を考案し、元祖さまの日課念仏六万遍を見習って、毎日、数珠を繰りお念仏六万遍申したと言われています。
それ程に浄土宗ではお念仏を重んじるのですから、念仏一会はおつとめの肝要で、正定業(しょうじょうごう)(正しく極楽往生が定まった行為)と言い、お経をあげる等の行は助業と申します。すべての修行は、お念仏を申し易くする為の雰囲気づくり、環境づくりの為にあるのです。あくまでお念仏が主役、他の修行は脇役です。
又、お念仏は声に出して申すのが阿弥陀仏のご本願(親心)にかなう念仏であり、我が耳に聞こえる程の念仏を高声の念仏と言われています。出来うれば、大きな声で称えるのがよろしいでしょう。小念は小仏を呼び、大念は大仏を呼ぶと言われています。
このように浄土宗では一にも念仏、二にも念仏、すべてお念仏を申す中に日々を過ごすべきなりとの教えです。法然上人は「現世を過ぐべき様(よう)は念仏の申されん方(かた)によりて過ぐべし。念仏の障りになりぬべからん事をば厭い捨つべし」(この世のすごしかたは、お念仏を称えやすいように過ごすべきです。お念仏の妨げになることはいとい、捨てるべきです)と仰っています。お念仏一筋で、この世、後の世幸せにさせて頂けるのです。有難いことです。
合掌