今月の法話
令和8年5月
格差社会
格差社会という言葉が流行語に選ばれ、二十年以上が過ぎました。令和の時代で一層格差が際立っていると感じることが多いのではないでしょうか。各々の経済格差だけではなく、情報や文化、環境や経験、生き易さや生き辛さ、、様々な格差が指摘されています。
その中には、宗教的格差も見受けられます。葬儀や埋葬は江戸時代以降様々な変遷をとげていますが、令和の多様化には驚かされます。すべてを省略するような別れの型には、強い危惧を感じます。私の考えが古いのでしょうか。
宗祖法然上人のお念仏信仰で説かれるのは、誰もが格差や隔たりなく救われる道です。
―お念仏の修業は、知恵を極めて悟る道ではなく、愚痴に立ちもどって極楽に生まれる道である―
仏教的な知恵の優れた人や困難な修行を極めた人だけの宗教でしたら、どうしても格差を生んでしまいます。そこを悩まれ、浄土宗の開宗へとつながった法然上人でございます。愚痴に立ち戻るとありますが、何も知恵を否定している訳ではございません。素朴な暮らしの中で、分け隔てなく、格差なく、お念仏の修業をお勤めできるのだ、と愚痴に立ちもどるの金言をお受け止め下さい。 宗教的格差を感じる場面も多いものです。そんな時、「法然上人のお念仏信仰は格差の無い信仰であった」と思い出してください。特に知恩院様は、来世の極楽往生を口称のお念仏でつないでゆく宗教です。身近な方とのお別れや、ご自身の命と向き合う時に、力強い助けとなる法然上人のお念仏信仰なのです。
大分 浄国寺
手嶋秀法

