今月の法話

平成16年11月

十一月となり、秋も深まって参りました。
一層お念仏に、また読書にいそしむ好季節です。

私事ですが、私は現在45歳であり、三島由紀夫の没年と同じ齢を迎えたことに、最近気づきました。
昭和45年11月25日に、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決しましたが、私は当時、小学校五年生で、担任の先生から事件について知らされ 彼は現代を代表する秀れた小説家である、と教えられました。

小説家の中には、時たま自殺する人がいます。その中には、宗教や仏教に関心を持つ 人もいます。
三島由紀夫も『金閣寺』や『豊饒(ほうじょう)の海』といった、仏教を題材にした作品を何作か書いていますし、芥川龍之介は『西方の人』等のキリスト教に関する作品を書いています。
彼が自殺した枕元には『聖書』が置かれていたということです。

しかし、宗教に、仏教に詳しいからといって、知識と信仰とは別物ですし、知っている事と、実際に救われる事とは、別問題です。
先日、若者数人が集団自殺するという事件がありましたが、自殺は、仏様から頂いた命を粗末にするわけですから、良くないことはいうまでもありません。

ところで昭和47年にガス自殺した川端康成はある作品の中で、「仏界、入り易く魔界、入り難し」と書いています。
この場合の「魔界」とは、芸術・文学の世界のことで、そこの住人となれるのは、三島・芥川・川端といった天才・芸術上のエリートたちで、我にはとうてい入る事はできません。
また、「仏界入り易し」というのは、「仏界(仏の浄土)というのは、本来は誰でも入れますよ」という意味だと思います。
ところが 法然上人以前の仏教では、極楽に往生する為には、布施や持戒や智慧といった 難しい条件が必要でした。
救われるのはごく一部のエリートでした。
しかし法然上人 は、万人救済の為に、阿弥陀様の本願を深く信じて、口に南無阿弥陀仏と唱えるだけで誰でも救われる、とするお念仏のみ教え、浄土宗を開かれたのであります。

南海 浄泉寺
佐々木諦道

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