今月の法話

平成16年12月

半世紀以上、幻の童謡詩人といわれてきた「金子みすず」さんが生まれてから百年の年月がたちます。
「金子みすず」さんは、昼と夜のように、光と影のように、この世はすべて二つで一つだということをよく知っている人でした。
『大漁』という詩を読むとそれがよくわかります。

朝焼け小焼けだ 大漁だ

大羽いわしの 大漁だ

浜は 祭りのようだけど

海の中では 何万の

いわしの とむらい するだろう

みすず記念館館長の矢崎節夫氏は、「二十世紀のある時から、私を含む多くの大人は、自分側、こちら側からしか見たり、考えたりしなくなりました。だからこそ『大漁』を読むと、自己中心、人間中心のまなざしをひっくり返される感動に出会うのでしょう。
本当に私たち大人は、大切なことを見ないで年を重ねてきてしまったのかもしれません。」と述べています。
浜の喜びと海の悲しみで一つです。
生と死で一つです。
見えるものと見えないものとで一つです。
実際、いわしが弔いをしようなどとは思わないかも知れません。
しかし、私たちは、それを自分の目に見ることができないから、あるいは自分の理屈に合わないからといってしまうのは、いささか私たちの慢心、思い上がりの心ではないでしょうか。

法然上人は『一枚起請文』の中で、「智者のふるまいをせずして、唯一向に念仏すべし」と仰せになりました。
それは、私たちに唯ひたすらに謙虚でありなさいとお示しくださったお言葉でございます。
この『大漁』という詩は、見えるものしか見てこなかった私たちに大切なことを思い出すきっかけを与えてくれ、さらに思い上がったこの心を戒めてくれるメッセージだと思います。

大分 円應寺
安廣隆之

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