今月の法話

平成18年11月

もったいない

 錦秋豊穣の好季、野の幸・山の幸に恵まれて正に「もったいない」毎日であります。
「”もったいない”という日本語ほど地球環境の大切さを言い尽くす言葉はほかにはない。ぜひ、世界へ広げたい-」ケニアの副環境相・ワンガリ・マータイさんの発言です。
「もったいない」の「もったい」とは、ものの本体「勿体=物体」のことであり、「もったいない」の表面的な意味は、物的な損失を惜しむ気持ちであります。
その一方、「もったいない」の裏面の意味として、そこにたどりつくまでの「努力」や「苦労」「時間」や「歴史」などに対する感謝と、「失う」「無にする」 ことへの嘆きとがひとつになったすばらしい日本語であります。

今年7月、全国5番目の女性知事に就任した滋賀県知事さんは、三つの「もったいない」政策を提唱されており、「もったいない」の言葉が、ますます浸透しつつある時宜でもあります。

財産や資源、自然の恵みを無駄にする「もったいない」こともさることながら、私には、もっと「もったいない」と思うことがあります。

おおよそ800年前、ここ総本山知恩院において御往生をなされました法然上人は、十五の御年から43歳まで比叡の御山で筆舌に尽くせぬ血の出るほどの求道の生活をなされた末に、お念仏のみ教えにお会いになられたのでありました。
そして京都を中心にお念仏をお弘めになられ、さまざまな法難にも遭われ、まこと にご苦難に満ちたご生涯を送られたのでありました。
その80年のご苦労は、ひとえに私たち凡夫が一人残らずお浄土へ生まれることのできるお念仏を広めるた めのものであったのです。

今こそ私たちがお念仏を申させていただかなかったなら、法然上人御一生のご苦労も全て無駄になってしまうことがあり、正に「もったいない」ことであります。

せっかく生まれがたくしてこの世に生を享け、しかも法然上人のお念仏のみ教えに出会わせていただいたのでありますから、今こそお念仏を申させていただかなかったなら「もったいない」-。

喜んで喜んでお念仏をお唱えさせていただきましょう。

合掌

滋賀 西方寺
安部隆瑞

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