今月の法話
平成18年12月
いつでも、だれでも、どこでも
私の篤信のお檀家様の月参りの出来事である。
読経の最中に電話が鳴り、戸主が電話に出られた。
受話器の向こうにいる誰かと少しお話をされた後、電話を切らずに受話器を置いて、大きな声でお念仏をお唱えして頂いた。
電話の相手は九州に嫁いだ娘さんからであった。
実母の祥月命日に実家に電話をしてきたのである。
実父は電話を切らずにお念仏を続けた。
苦労して病気で早く 亡くなった実母を想い、私と共にお念仏をする事を勧めておられたのである。
その仏壇には、奥さんの遺影があり、それを見つめながらの月参りである。
娘さん もそれをご存知で、たまたま私のお参りの時間と電話のかかってきた時間とが合致した。
「娘は必ず妻の月命日に電話をくれます。今日は御住職と一緒にお念仏ができて良かった。」と喜んでおられた。
遠い九州の受話器の向こうから、大きなお念仏 の声が聞こえるようだった。
有り難かった。いつでも、だれでも、どこでも、娘さんの声もお母さんにきっと届いたに違いない。
心温まる3月3日、祥月命日の お参りであった。
合掌
滋賀 西福寺
稲岡純史