今月の法話

平成21年11月

「コロッ」と逝った、そのあとは?

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
      声聞く時ぞ 秋は悲しき
        (百人一首 猿丸大夫)
 紅葉の季節を迎え始めておりますが、冒頭の一首から、えも言われぬ微妙なる美しさと共に、人生の終末を予感させられ、更に鹿は、釈尊が、お悟りを開かれ、最初に五人の弟子の前でお説教をされた(初転法輪)場所の鹿野苑(ロクヤオン)を思い起こさせます。

 年を重ねるほどに、紅葉への感動が増してゆくと共に、我身の最後の有り方への願望が涌いてきます。
 誰もが「死ぬまで元気で、コロッと逝きたい」と言われます。本人や介護する家族に苦痛がないようにと、願うのは当然のことでありますが、そのあとのことについて言われるのを聞いたことが無いのです。
 「コロッ」と逝った、そのあとは阿弥陀様のお迎えをいただいて、西方浄土へ往生したい」と何故言わないのでしょう。お念仏のお称え方が、まだ充分でないからです。

 法然上人は
「あみだぶに そむる心の 色にいでば 秋の梢のたぐいならまし」と詠まれて、阿弥陀仏への信心の確かさを、紅葉の程度に置きかえ、速く真紅になりなさいと教えてくださっています。

 人は沢山の願望を起しますが、この世においては、五欲(財・色・飲食・名誉・睡眠)となりて、度を越えると顰蹙を買うことになります。

 一方、来世にお浄土に生れたいとの願いは強情になっても、非難どころか称讃されるのです。何故でしょうか。

 これは、阿弥陀仏のご本願に随順しており、阿弥陀仏の光明に照らされ、清浄な願いとなるからです。

 只今から、コロッと逝ったあとの来世を願い、お念仏に励みましょう。

合掌

岐阜 安楽寺
澤 玄淨

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