今月の法話
平成29年10月
受け難き人身を受けて
入相の 鐘より暮れて 秋行くを
つくづくをしと 蝉の鳴くらん 小林一茶
夕暮れに鐘がなる。
夏が過ぎ、秋になるのが、つくづく惜しいと蝉が鳴いている。
「ツクツクボウシ」の鳴き声を「つくづく惜しい」と聞き方によってはそう聞こえる。
法然上人の「一紙小消息」の中に「受け難き人身を受けて、遇い難き本願に遇いて、発し難き道心を発して、離れ難き輪廻の里を離れて、生まれ難き浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなりと。」と教えられています。
「受け難き人身を受けて」と私達は受け難い人間としての生を受けることが出来たにも拘わらず、お念仏のみ教えに出会うことなく生涯を終えてゆく人を何人も見てきました。
お念仏のみ教えに出会うことが出来ないということが「つくづく惜しい」と思うのであります。この世に人間として生を受けた者が「遇い難き本願に遇えて、発し難き道心を発して、この苦しみ多き輪廻(迷い)の里を離れて、生まれることの難しいお浄土に往生出来たならば本当の悦びを感じることが出来るのであります。
この世に生を受け、お浄土を理想の世界として、願往生心(往生を願う心)を発して南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛と声高らかに精進をして、「つくづく惜しい」生活にならないように、心豊かに心安らかにお念仏の中に生活が出来ます事を願う次第であります。
合掌
奈良 極楽寺
野島学道