今月の法話
令和8年6月
光明に導かれて
法然上人は「極楽を求めん人は、本願の念仏を行じて、摂取の光に照らされんと思し食すべし。」とお示し下さいました。極楽往生を望む人は本願のお念仏を修めて、救いの光に照らされようと思って下さいという意味です。このお言葉は『観無量寿経』に説かれている「一々の光明、遍く十方の世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨て給わず」を基としておられます。
私たちは自分が無明の凡夫であることを自覚しなければなりません。真実を明らかに出来ない、真理に暗いのが私たちであります。しかし法然上人は無明淵源の霊薬(むりょうえんげんのりょうやく)はお念仏であると説いて下さいました。すなわち無明の凡夫である私たちが極楽往生させて頂くには、南無阿弥陀仏とお称えするしかないのです。
死後の旅路を「冥土の旅」とも申します。「暗い」「闇い」「冥い」は全て「くらい」と読みますが、「冥土の旅」の冥さは実は一定の方向からは光が照らして下さっているのです。その光は阿弥陀様の摂取のみ光であります。
いつか私たちは必ず冥土の旅に向かわねばなりません。けれどなにも迷うことはないのです。日々のお念仏の功がつもり、必ず極楽浄土に往生させていただくのだと信じるのであります。この世の命が尽き、たとえ気がつけば真っ暗闇の荒野に一人佇んでいたとしても、必ず一筋の阿弥陀様の光明が私たちを照らして下さっているのであります。
大阪 浄念寺
坂下雅裕

