今月の法話

平成13年8月

つねに念珠を持つべきなり
ある人が、法然上人に、「お念仏を申す時、必ず念珠を持たずとも、よろしいでしょうか」と尋ねられました。
その時、法然上人は、「必ず念珠を持つべきなり。
世間の人が、歌を歌い舞を舞う時でも、その拍子にしたがって歌ったり舞ったりするなり。
お念仏申す時は念珠をはかせにて舌と手を動かすなり」と、お答えくださいました。
「念珠をはかせにて」とは、念珠をくるのに合わせてという意味であります。
お念珠をくるのに合わせて、南無阿弥陀仏とお念仏を申すのです。
浄土宗のみ教えは、「ただ一向に念仏すべし」であります。
だから、お念仏さえ申せば、念珠など持つ必要はないかのようにみえます。
お尋ねの意は、お念仏を申す時に、念珠を持つことはよいことではあるが、しかし、念珠を持たなくてもよいのではないでしょうか。
との問いであります。
これに対して、法然上人のお答えは。「必ず持つべきである」と、仰せられました。
「信は荘厳より生ず」との言葉があります。
形から心が導びかれるのです。書物に向かえば読む心になり、筆を持てば書きたい心になります。
念珠をくることにより、 お念仏が口からでるのであります。
法然上人のみ姿を拝まさせていただきますと、お念珠を常に持っていらっしゃいます。
念珠は必ず持つべきであります。
「手に数珠を取れば引かれておのずから心に浮かぶ南無阿弥陀仏」お念珠は、いつでもポケットやハンドバックに入れておきましょう。
そうすると、ポケットやハンドバックに手をやった時、お念珠にふれ心がひきしまり、仏の子としての自覚にめざめ、思わずお念仏が出るのです。
お念珠には不思議な力があります。
「嫁ぐ娘に忘れず持たす数珠一つ」お念珠は、仏教徒としてのプライドと信念とを持って常に身につけ、お念仏を怠らぬように精進したいものです。

京都 長円寺
堀芳照

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