今月の法話

平成13年12月

浄土宗をお開きくださった法然上人は、武家のお生まれでした。
9歳の時、お父様が夜討ちに遭うという悲運に遭遇されます。
瀕死のお父様は、当時勢至丸と呼ばれていた法然上人を呼び寄せ「決して私の仇を討ってはならない」と遺言されました。
武家が、仇を討つのは当たり前の時代でした。
その当たり前と違った言葉が今わの際にお父様の口から語られるのですが、そこにはものを見通す冷静さがあります。
日ごろから、いかに深く物事を考えておられたかが感じとれます。
「そのあだ世々につきかたかるべし」というのが現在にまで伝えられているお父様の言葉です。
つまり、「お前が仇を討てば、敵の子もお前を仇として狙うだろう。
もし、それが成されれば、お前の子もまた仇を討とうとする。
そうして同じことが繰り返され、果てしのない苦の世界を招くことになる」とおっしゃるのです。
これはなんでもない言葉ではありませんね。
「なぜ私は死ななければならないのだ」という状況下で、子に託した言葉なのです。
またそれを受け入れる法然上人の方も、お父様のお考えが理解できる家庭環境で育てられていたのだと思います。
法然上人は、後に「父の遺言忘れがたく」と述べられますが、この縁で出家し、ついには浄土の教えを日本の地に定着させられるのです。
考えてみれば、どれだけ悲しく、どれだけ苦しいスタ-トだったでしょう。
今、アメリカは報復と称して、仇討ちに邁進しています。果てしのない苦の世界に浸ろうとしています。
しかも、何の罪も科(とが)もない人たちを巻き込んでいることに、どうして気が付かないのでしょう。
過去の歴史から、何も学ばなかったリーダーたちの罪は大きいと思います。
そして、日本の83%の人がそれを仕方のないことと受け止めていることも問題です。
せめて、浄土の教えを受けた人は「それは間違いだ」と言えるようになってもらいたいと思います。
800年の昔、耐え難い苦しみを乗り越え、敵も味方もない、誰もが救われていくお念仏の道をお弘め下さった方が、現実におられたことを忘れてはなりません。
それを思う時、私は一味もふた味も違ったお念仏が心に沁みて来ます。
法然上人の伝記は、夜討ちをかけた子孫たちがこぞって、念仏の信者になったとも伝えています。

兵庫 西運寺
田野島孝道

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