今月の法話

平成14年2月

おかし
いたずらに一つかくした
弟のおかし。
たべるもんかと思ってて、
たべてしまった、
一つのおかし。
かあさんが二つッていったら、
どうしよう。
おいてみて
とってみておいてみて、
それでも弟が来ないから、
たべてしまった、
二つめのおかし。
にがいおかし、
かなしいおかし。

これは、私のお気に入りの「金子みすゞ」の詩です。
子供のころ、誰にでもこのような経験があったのではないでしょうか。
食べてはならないお菓子を前にして、その欲望をおさえることは至難の業です。
私も姉との二人姉弟でした。
六つも歳が離れていましたので、姉はいつも駄々っ子の私に手を焼いていたに違いありません。
しかし、食べ物となると容赦はありません。
「取った」「取ってへん(いません)」と言い争いのけんかをしたものです。
取られたら取り返す。
やられたらやり返す。
そんな繰り返しが子供のころのけんかでした。
まさに阿修羅の世界です。
常に闘争を好み、陽の当たらない暗闇の世界です。
暗闇の世界ですから、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、我が身の愚かさに気づかず、相手に当たってばかりいます。
そんな暗闇の世界から一転、光明に照らされる世界へと心を戴くことが出来るのが、法然上人が開かれたお念仏の信仰の世界であります。
覆っていた暗闇の正体こそは、我が身の愚痴の黒雲であり、愚鈍の身そのままに申す念仏は、摂取の光に照らされているのであります。
宿かさぬ恨みも晴れて野辺の月姿、身なりで断られた無情の仕打ちの恨みを捨て、野宿を決め込み草に寝転んで空を仰いだとき、月の光が言い知れぬ優しさを以て私を照らしてくれていたことよ。と、感動したのでございましょう。
にがいおかし。かなしいおかし。それでも手がでるこの私。
こんな私を救わんがために照らして下さっているのが、阿弥陀さまのお慈悲の光明であります。

和歌山 来迎寺
榎本了示

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