今月の法話

平成14年9月

最近食事の時に「いただきます。」「ごちそうさま。」の挨拶をするご家庭がめっきりすくなくなったと聞きます。
皆様はちゃんとされていますか?
ここ知恩院では、必ず『食前のことば』を拝読し、そのあと「南無阿弥陀仏」のお念仏を十回お称えしてから頂戴します。
食事がすむと『食後のことば』そして十回のお念仏。
皆様もこの機会に食前、食後には同称十念をお称えなさる事を強くお勧めします。
「人は一日に十万の命を頂いて暮らしている。」といわれます。
その中には、私たちが気づきながら、生きるためにしょうがなく奪ってしまう命もあります。
また知らぬうちに奪ってしまっている命もあるのです。
この世で暮らす私たちは、数えきれないほど多くの命を奪ってしまっていると言う事を先ず理解せねば
なりません。
その命たちは、決して私たちに食べられるためにこの世に生を受けたわけではありません。
私たちと同じく尊い命を頂いて必死に生きているのです。
お魚さんも、ぶたさんも、うしさんだって一生懸命生きているのです。
もっと言うならば、お米も野菜も大豆だってしっかりと生きているのです。
では私たちは、その多くの命に対して、いったいどんな思いを持つべきでしょうか。
ある先生がこのような事をおっしゃいました。
「今日、カニを食べた。カニの命を食べた。
カニの一生を食べた。カニさん尊い命を有難う。」
まさに、この心こそ、私達人間が人としてもつべき姿ではないでしょうか。
カニもぶたも、米も野菜も私たちの60兆あるといわれる細胞の、この部分がカニでここがぶただということは、ありません。
どれも食べてしまえば消えてしまいます。
しかし、それは、本当に消えてなくなってしまうという事でしょうか。
私はそうは思いません。それは消えるのではなく、消化するのだと思います。
カニの姿、ぶたの姿はなくなるけれど、その尊い一生をわが身に化生させていただくのです。
カニさんをぶたさんを、この身にしっかりと戴いてそのちからに支えられた、私たちが必ず蓮華化生
(西方極楽の蓮の華の上に往生)させていただくのです。
法然上人は、数多い御教えの中から、その最も勝れた御教えとして「南無阿弥陀仏」とお称えする方法を、お示し下さいました。
その尊い、御教えに会うことができた私たちがカニやぶたや米や野菜たちに、この人に会えてこの人に食べられて「よかった」と思われる姿で心であるべきではないでしょうか。
その姿こそ掌を合わせて「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えして「いただきます」と頭を下げるその姿なのであります。

北海道第二 慈教寺
嶋中三雄

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