今月の法話

平成15年3月

一月は往(い)ぬ、二月は逃げる、三月は去(さ)ると言われるように、いつしか今年も三月を迎えました。
平安末期から鎌倉時代初頭、法然上人とほぼ同時代にあって、貴族社会から武家社会へと大きく変貌を遂げた時代の僧侶に、天台宗の慈円僧正(1147~1225)があります。
慈円僧正は、法然上人の帰依者の一人で九条家を創設して、内大臣、摂政、関白、太政大臣と位人身を極めた九条兼実公の弟にあたる方で、比叡山の高僧として天台座主を四度もつとめ、『愚管抄』を著した有名な宗教家であり、また秀でた歌人でもあります。
またここ知恩院のお隣の吉水粟田の青蓮院門跡に住したことで「吉水の僧正」とも、またの別号を「慈鎮和尚」とも称されております。
浄土宗にあっては、七十五才で四国に御流罪となり、七十九才の御年の十一月に勅免の御沙汰があって京都へ帰られた法然上人をあたたかく迎え入れ、「ともかく、ここへ」と護摩堂(南禅院)を空けてお迎え下さったお方であったのです。
現在のこの知恩院の中で、屋根の葺き替え工事中である大方丈の前の庭園の左側に「慈鎮石」と呼ばれる表面が平らになった四角い石があり、慈鎮和尚(慈円僧正の別号)が座禅された石と伝えられるものが現存しております。
このことからしても、今の知恩院の境内地はおおよそ青蓮院の境内の一角であったことがしのばれます。
その慈円僧正が次のような一首を詠んでおります。

極楽へ まだわが心 行きつかず
羊のあゆみ しばしとどまれ

十二支の「未」(ひつじ)の文字は、木がまだ伸びきらないようすを表現した象形文字で、「いまだ・・・・・・していない」という意味を表しています。
慈円僧正が詠んだ「羊のあゆみ」とは残された人生のことであります。
浄土往生の信仰が未熟で心に安心(あんじん)を会得できないからとて、死に向う日々の歩みは決して停止したり、待ってくれたりはしないものであります。
慈円僧正のお歌にある、「極楽への信仰が十分ではないから、死に至るまでの時間をしばらく止めてほしい」とはだれしもの願いながら、羊の歩みは決して止(とど)まることがない以上、無常迅速を肝に銘じて、南無阿弥陀佛のお念佛で今の今を生きることが大切です。

合掌

滋賀 西方寺
安部隆瑞

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