今月の法話
咲いた花見て喜ぶよりも 花を咲かせて人を喜ばせたい
お念仏の故郷、総本山知恩院の参道の花は、梅雨のじめじめした季節でも、私達の心を和ませてくれています。
この花は、種を蒔き、花を咲かせて、通る人の心を和ませようと願った優しい人の心がこもっているのです。
この心が、お布施の心なのです。
さて、このこのお布施の心一杯の『花咲き山』のお話しをお伝えいたします。
それでは、齋藤隆介さん作「花咲き山」始まり始まり。
山姥は、十才の可愛い女の子、アヤに何故花咲山の花が咲くのかを話していきました。
「この花は、ふもとの村の人間が、やさしいことをひとつするとひとつ咲く。アヤ、お前の足元に咲いている赤い花、それはお前が昨日咲かせた花だ。
昨日妹のソヨが、『おらサも、みんなのように祭りの赤いベベ買ってけれ』と、足をドデバタして泣いておっかあをこまらせたとき、お前は言ったべ『おっかあ おらは、いらねえからソヨさ、買ってやれ』と、そう言った時その花が咲いた。
お前は家が貧乏で、二人に祭り着を買ってもらえねぇことを知ってたから自分は辛抱した。
おっかあは、どんなに助かったか、ソヨはどんなに喜んだか、お前はせつなかったべ。
だども、この赤い花が咲いたこの赤い花は、どんな祭り着の花模様よりも奇麗だべ。
ここの花は、みんなこうして咲く。」この話を村に帰って村人に言っても誰も信じてくれなかった。
そこでアヤは、もう一度山に入っていったが、花咲き山の花も、山姥も見つけることが出来なかった。
しかし、優しいことをするとアヤは、時々「あっ。今花咲き山で おらの花が咲いたな」って思うことがあった』 『花咲き山』 おわり
この花咲き山に咲く花は、アヤの優しい思いやりの心で、お布施の心なのです。
もちろんこれは物語ですが、お念仏を申しておれば、すべての徳がこもっている「万徳所帰」のお念仏ですので、阿弥陀様に導かれ、私達は、人生でも思いやりの花・お布施の花を咲かすことは実際出来るのです。
ある小さな男の子が、寒い日に駅の階段の手摺りを一生懸命に手でさせりながら一歩ずつ昇ってくるのでした。
何をしているのかなと思って見ていますと、後からお年寄りの方が、手摺りをもって上がって来られたのでした。
その少年は、お年寄りのことを思って、冷たい手摺りを少しでも暖かくしようと思っていたのでした。
そのお年寄りの方は、手の暖かさだけでなく、心までも暖かくさせていただけたことでありましょう。
このようなお布施を、坂村真民先生は、「小さなおしえ」の詩で
「見知らぬ人でもいい 雨に濡れていたら
走っていって 傘に入れておやり
バスから降りるときは 疲れた車掌さんに
ありがとうと言っておやり
道ですれちがう おばさんたちには
幸せを祈っておやり
目の見えない人が歩いていたら おっ母さんになったつもりで
手をひいておやり
ねがえりもできず ねている人があったら こおろぎのように
そっと片隅で愛のうたを うたっておやり
小さなことでいいのです あなたのむねの ともしびを
相手の人にうつしておやり」
このように、色々なご縁で、出会った人には、優しい思いやりの心でお布施をすれば、必ず、花咲き山でもこの世でも、いつかお念仏の心のこもった花がいっぱいに咲かせて頂けるのです。
大阪 法善寺
神田眞晃