今月の法話
平成15年8月
ある時、お釈迦様は「悪いと知って、悪いことをするのと、悪いとは知らずに、悪いことをするのとでは、
どちらの方が罪が重い。」と、お弟子たちにお尋ねなさいました。
お弟子たちは、「悪いことを、悪いと知らずにすることは仕方のないことです。責めることは出来ませ
ん。その罪は軽いと思います。しかし、悪いことを、悪いと知りながらするのは、許されることではありません。いけないことです。従って、その罪は重いと思います。」と、答えられたのでした。
すると、お釈迦様は「ここに、焼火ばしがあるとする。それを、焼火ばしだと知ってつかむものと、そうとは知らずにつかむものとでは、どちらが大きなやけどをするであろうか。」と、再び、お尋ねなさいました。
お弟子たちは、「焼火ばしであることを、知ってつかむものは十分な注意をはらってつかみます。つか
めばどうなるかということを知っていますから、出来ることならつかむまいといたします。従って、やけどをすることも軽くてすみます。しかし、焼火ばしであることを知らずにつかんだものは、赤ん坊などは、大きなやけどをするにちがいありません。」と、答えました。
そうすると、お釈迦様は、大きくうなずかれました。
そして、お弟子たちは、この「焼火ばし」のお譬えで、はじめのご質問に対する答えが間違っていたことに気づかれたのでありました。
要は、知るということが大切です。
お念仏のみ教えは、まず、自分自身をみつめてみる。
自分自身の人柄を深く知ることからはじまります。
法然上人は、「念仏を行じて、摂取の光に照らされんと思し食すべし」と、お勧めくださいました。
お念仏を申し、阿弥陀様のみ光に照らされ、自分自身の本当の姿に気づかさせて頂き、常に懺悔の生活を心がけたいものであります。
京都 長圓寺
堀芳照