今月の法話

平成16年3月

最近の子供達を見ていると、今までには考えられなかったことが現実に起っています。
しかし、その根底には必ず大人に問題があるはずです。
福沢諭吉さんは『教育論』の中で「一家は習慣の学校なり。
父母は習慣の教師なり」と述べて居られます。
子供がその人生で初めて経験するのは父母との生活です。
子供は父母の言動を四六時中見て過ごし、その一挙手一投足をまねることで、しだいに大きくなっていく。
よくも悪くも子供は立ち居振る舞いから言葉づかいまで、親の日常のありかたをそのままに写す鏡の
ようなものです。
だから、親は子供のよき手本、見本でなければならないのです。
イギリスの哲学者、H・スペンサーは「子供は父母の行為を映す鏡である。」と言って居られる。
自殺からはじまり、校内・家庭内暴力、いじめの問題、そして、殺人と次から次へと姿を変え現われているこれらの子供の問題は 、現代社会の混迷が鏡に写し出された姿であり、子供が大人社会へ警鐘を打ち鳴らしていると受け取るべきであります。
合掌は、人間として一番美しく、自然な姿であります。
また、「平和のシンボル」ともいわれます。
合掌のままではケンカもできません。
争いのない姿であります。
今こそ、宗教の心を、合掌の姿を家庭において、親が生活の中に習慣として取り入れ、子供へのしつけの基本としたいのであります。
「しつけ」とは、親が子供のよき手本・見本をその後姿でもって示しつづけるものです。
お彼岸はお寺へお参りし、み仏様に近づき、お墓へお参りし、ご先祖様に両手を合わせお念仏を申し、明るく・正しく・仲のよい日暮しができますように、親が拝めば 子が拝む 拝む姿の美しさ 合掌とお念仏を家庭の中に習慣として親が子に示して頂きたいのであります。

京都 長円寺
堀芳照

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