今月の法話
昨今、特に若い人たちによる頭脳的犯罪には困ったものです。
かつてフランスの哲学者サルトルは日本に来て講演し、「人間は、それまで知らなかったことを知ったならば、その時からある意味で、義務や役割が生じるものだ。」(「知識人の役割」)というようなことを述べていました。
昔と違い、たくさんの知識や情報を持てるようになった私たち現代人間は、それを正しく活用し今の時代に生きる努力をしなければ、人間としてほんとうに生きる価値がないというのです。
まさにその通りですが、いまそこに、何か大事なものが欠けてしまっているように思えてなりません。
私たちはご先祖さまから、元をただせば、み仏さまからのご縁をいただいてこの世に人間として生まれてきたのです。
ですから、他の生き物にはない生き方、役割があるはずです。
それを果たさなかったら人間として生まれてきたかいがありません。
お釈迦さまが説かれた教えがお経です。「経」とは、もともと織物のたて糸のことで、物事のすじ道、道理を意味しています。
ですから、お釈迦さまの教え、仏教は私たちの生き方のより所、お手本であるわけです。
お釈迦さまはまず、仏・法・僧の三宝を大切にせよと説かれています。
これはやさしくいえば、明るく・正しく・仲良くする生き方をしましょうということです。
そのためには、個人的な欲望を捨て、腹を立てず、愚かな自分に気づき改めなければならないのですが、簡単なようでたいへん難しいことです。
この難しい実践をお釈迦さまの教えの中から、誰にでもでき、しかもこれしかないとお気づきになられたのが、浄土宗を開かれた法然上人です。
上人は、煩悩にむしばまれた、愚かで弱い自分に目覚め、ただ一心にお念仏を申せばよい。
それは阿弥陀如来さまのお約束なのだから、と説かれました。
お念仏でおのずと三宝も備わってくるのです。
とかく問題が多く、難しい今の世の中に生きている私たち。
何とか人間としての役割を果たし、価値ある生き方をしたいものです。
幸い、よき導きの教えがあるのですから。
栃木 法蔵寺
長田善生