今月の法話

平成17年11月

 御念仏の故郷、総本山知恩院にも、ライトアップで綺麗に色づく紅葉が舞い散り、木枯らしが吹きぬける冬の季節がやってまいりました。

この寒い冬に、法然上人がお詠を
『雪のうちに佛の御名を称うれば 積もれる罪ぞ やがて消えぬる』
と詠われました。
この御詠は、私達の罪障や煩悩の悪い心を雪に例えられ(大地が罪障煩悩の説もあります)、例え罪障煩悩の罪の雪が積もろうとも、お念佛を申していれさえすれば、阿弥陀様が、御救いの光明を照らしていただき、太陽が雪をたちまち溶かすように、私達の知らない間にも積もらせている悪い罪障煩悩心を治めて戴くのです。
さて、この詠の中の三毒煩悩とは、法然上人は、お経の中に「全て地獄・餓鬼・畜生の三途の世界に落ちる行為である」と申されたのです。
その三途行きの悪い心こそ、全ての人間が持っていて悩ませれている三毒の煩悩で、貪欲・瞋恚・愚痴なのです。

貪欲とは、もっと欲しいという貪(むさぼり)りの心です。
たとえば、お金を十万円貯金しようと思いやっとのことでためると、思いが叶ったからもう良いのかというと、やはりそうでなく、また、二十万・三十万と目標が増えてきます。
そして、もう少しで目標額に到達しそうなときに、親戚づきあいでお祝いを出さな ければならない時に「この前入学祝出したと思ったのに、今度は、また卒業祝いか」と出したくない欲の心が顔を出すのである。
私達の欲の心をたとえるならば 「出すことは、一切いや、舌を出すのもいやや」という人なのです。
次に、瞋恚とは、すぐ腹立てる怒りの心です。
タクシーに乗るときに、ワンメーター位だとあまりにも近いので「すみません、近いけど入ってもらえますかな」と気を使いながら乗るときに、運転手さんが「私らは、どこでも行かしてもらいます。」と言われたら、ほっとして嬉しくなります。
しかし、運転手さんが、機嫌が悪いと、一言も何も言わずに荒い運転をされたりします。
そうすると、私達は何も悪いことしてないのに、何でこんな目にあわんといかんのやと、腹がたってきます。
そして、こっち側も黙り込んでしまいますし、運転手さんも黙ったまま、お互い腹をたててしまいます。
三つ目の愚痴とは、正しい判断が出来ないで、すぐ文句ばっかり言う心です。
例えば、買い物などに行きますと、よく抽選券をもらうときがあります。
そして、抽選に行きますと、一番最初に見るのは一等商品ですね。
「一等商品を見て、一等商品は沖縄旅行、夏は暑いからホテルから海に行くのが大変やからあたらんでもいいは。二等は冷蔵庫、これは良いけど、これ貰ったら古いのはどうしようと思う。」抽選して見ると、何のことはない、はずれのティッシュをもらっていだけです。
このよ様に、自分の都合の良く行くと思い、正しい判断が出来ないので、当たる前から悩むんです。

この鬼のような悪い三毒の煩悩の心や罪障を、法然上人はお念佛を申すことにより、反省懺悔し、阿弥陀様によって清らかな穏やかな心に導かれるのですとお伝えいただいておるのであります。

それは、私の檀家の方が、18歳のお子様を交通事故で亡くされたときのことです。
あまりにも、突然のことで、そのお母さんは、心が乱れ加害者を憎む鬼のような心になっていかれたのです。
しかし、子供の為にお経もそらであげられるほどに、お念佛を称えられている内に、心が変わってきたのでした。
三回忌を迎えたある時に、そのお母さんは、交差点で花を供え手を合わせておられる人に出会ったのです。
そして、ふと声をかけられたのでした。
『どうなさったのですか。』『実は、ここで交通事故にあいまして、子供が亡くなったのです。』『あなたは、被害者の方ですが。』『いえ、加害者です。』 と、言葉を交わされたのでした。
人生は、本当に不思議なもので、ここに相手は変わろうとも被害者と加害者が出会われたのでした。
そこでお母さんが言われた ことが『拝んであげてください。今は、被害者の方は許してはくれませんが、真心こめ拝んでおられる事は、必ず伝わりますから。きっと、いつかは許して戴け る時がきます。」と言われたのです。
私は、この話をお伺いしたときに、この方は、ようやく許す心になられたと喜んだのです。
『今までは、鬼のすみかのこの胸も、今日から佛の宿りとなす。』とお念佛を申す事により、阿弥陀様のような許せる広い心になられたのでした。

私たちも、このように三毒の煩悩のような悪い心が起こってきましても、
「南無あみだ 南無阿弥陀仏と 百八の 煩悩業を 叩き伏せ鐘」
と、お念佛を申す信仰生活をお送り戴く事により、この鬼のような悪い三毒の煩悩や罪障を反省懺悔し、阿弥陀様によって清らかな心に導かれるのです。

合掌

大阪 法善寺
神田眞晃

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