今月の法話

平成18年8月

お盆

 目が覚めると声が出なくなっていた。
病院に行くと、すぐに入院、検査が必要とのこと、苦しい検査の結果、食道癌が原因で、喉のリンパ節に転移して、声を出す反回神経を麻痺させている。
声よりも命が大切、このままだとあと数ヶ月でしょう。

僧侶にとって、布教師にとって声の出ない苦しみ、これこそ逆さに吊られたような苦しみ、倒懸苦、梵語でウランバーナ(孟蘭盆)である。
放射線治療によっ て、喉が焼きただれ、食べ物はもちろん、唾さえも喉を通らなくなったさまは、目蓮尊者のお母さんが堕ちておられた餓鬼の世界そのままの苦しみであった。
そのお母さんを救わんが為に、お釈迦さまがお経を説かれたのが、お盆のはじまりである。

なんとかこの苦しみから抜けでて、肉体的にも精神的にも苦しみのない世界に生まれたいと切ない願いをおこした時、やっと気がついたかと、大いなるみ親、阿弥陀さまが、我が名を呼んでこい、イバラの道は、わしがかわりに歩いてやる、針のむしろには、わしがかわりに坐ってやろうと、あたたかい手をさしのべてくださっていた。

声の出にくいこの私の為にも、法然上人は、
”我が耳に聞こゆるほどを高声の念仏とは申すなり”
と、お念仏の道をお示しくださっておられたのである。
日毎、痛みとだるさが増していく中、残されたわずかな時間であるが、み仏さまに全てをおまかせして、お念仏の日暮しをしていくつもりでいる。

”生けらば念仏の功つもり、死なば浄土に参りなん。とてもかくてもこの身には、思いわずろうことぞなきと思いぬれば、死生共にわずらいなし。” 
南無阿弥陀仏

合掌

大阪 来迎寺
白川元昭

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