今月の法話

平成20年2月

生まると信じて

 「罪は十悪五逆の者も、生ると信じて、小罪をも、犯さじと思うべし」 元祖法然上人の大切なご法語の一説です。
 法然上人は自らを「十悪の法然房」と申され、善導大師は「罪悪生死の凡夫」と申されます。実際におそろしい罪を犯されたのではなく、自らを深く内省して、澄んだ尊い人生ではなく煩悩にさいなまれる日々であるというのです。
 仏教のみ教え「色心不二」、身と心とは一つであると、鏡に照らしてみると、誠に情けない心しか持ち合わせていないと申されるのであります。

 天草に住むA君の場合、彼は何回も投獄され、最後に釈放された時、私の寺の「心といのち相談所」の看板を見て、山門を入ってきました。開口一番「私のような罪人はどうしたら救われ、毎日安らかな日々が送れますか?」の言葉に驚きました。
「とにかく、毎朝私と一緒に念仏申しませんか」と、通ってもらうことにしました。翌日から1時間早く来て、庭掃き、回廊の拭き掃除の後、一緒にお念仏の行を続けてくれました。
 半年ほど経たある日「こんな私が大自然の不思議の中に生かされているのであり、み仏は私をお見捨てではなかった」と、涙にくれつつお念仏をするようになり、今も続けてくださっています。

 実際に罪を犯さなくても、心の邪悪な思いを断って安らかな日々を送ることはむずかしくとも、小罪も犯さぬよう心がけつつ、大罪を犯した人でも往生の身の上となさしめてくださる阿弥陀仏の慈悲にすがり、お念仏の日々を過ごしたいものです。

熊本 遺迎寺
山﨑龍道

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