今月の法話

平成20年7月

忘れ得ぬ元祖様のご法語

 私が若い時、最初に感銘を受けた元祖様のご法語に次のようなお言葉があります。
 「たとえば葦のしげき池に、十五夜の月の宿りたるは、よそにては月宿りたりとは見えねども、よくよく立ち寄りて見れば、葦間を分けて宿るなり。妄念の葦は茂けれども、三心の月は宿るなり。」と。『勅伝』に常におおせられる「お言葉」として伝えています。 遠くから葦の池を眺めただけでは分からないけれど、近づいて見ると、「オヤッ こんな葦の群生する水面にも・・・月影が映っている。」と意外に思うほどである。葦を妄念に見立て、このような娑婆の下界に宿す天上の月影を仏さまの光明、言い替えますと「お念仏すれば一声にいたるまで決定して往生する。」という阿弥陀仏の大悲心に喩えていらっしゃるのですね。
 私たち日常の心も妄念や雑念はむろん、貪りの心 怒りの感情、縁起の道理に暗い闇のような情念が、起きては消え、消えては起こっていて、ちょうど池の水面に生息する葦のよう。しかし、そうであっても阿弥陀さまの尊い誓願を疑わずお念仏すれば、必ず往生を得る。というのです。私はこのご法語に出会って清らかな安堵感を抱いたこと、今も忘れません。
                                        

合掌

静岡 龍善寺
北條大護

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