今月の法話
ミャンマー ─ チェーズティンパァデェ(ありがとう)
ミャンマーは東南アジアの最も西にあり、日本の1.8倍の国土を持ち、国民の9割までが敬虔な仏教徒の国です。2007年、ミャンマーの僧侶と一般市民の平和的なデモに対して、政府の武力行使により日本人を含む多くの犠牲者を出し、多くの僧侶や市民が拘束され僧院などが破壊略奪されたことは、同じ仏教徒として遣る瀬無い思いでありました。
そうしたことに深く思いをいたしながら、去る1月下旬、寺院関係者6名と共にミャンマーを訪問、武力暴力のないミャンマーの平和祈願と、戦争犠牲者怨親平等慰霊並びにミャンマー南方上座仏教の研修を目的に、一週間にわたり見聞を深める幸せを頂戴いたしました。
低所得者が大多数の国ながら、その貧困に喘ぐ人たちが皆すすんで施しを生き甲斐にしており、自分たちに与えられた金品であっても我が物とせず、必ずそれに自分の一部を足して弱者に与えるという、優しいミャンマーの人々の心に胸がちぎれそうになりました。
「来世に徳を積むために-」という言葉をいともさり気無く、現地日本語ガイド役のYAN様が最後出国まで何度も口にされました。「死んだらしまい」と口走る日本人。仏教の土徳に育ったミャンマーの人々は、輪廻転生を露も疑わず、真実心で信に徹する姿は崇高そのものでした。
どんな貧しい家庭でも朝、暗いうちにご飯を炊くのは、自分たちが食する目的ではなく早朝に巡回してくる僧侶たちの托鉢に供養する為なのです。日本も30年50年前は仏前に供えるために、朝必ずご飯を炊きました。今は生きている者中心の考えが横行し、夜に炊く家庭や2日か3日に1度と言う現実。ミャンマーの人たちの生活は、佛法を何より大事にし、仏さまや僧侶を最優先に敬うすばらしい国民。日本の生きている者中心の考え方に比べ、心は幾倍も豊かで幸せな人たちが暮らすミャンマーでした。ミャンマーに幸せあれ。
合掌
滋賀 西方寺
安部隆瑞