今月の法話
平成21年3月
ともに生きる
さへられぬひかりもあるををしなえて
へたてかほなるあさかすみかな
(障られぬ 光もあるを おしなべて
隔て顔なる 朝霞かな)
このお歌は法然上人のお歌とされております。春の早朝、起きて遠くの山に目をやると、帯のようなぶ厚い朝霞が出ていることがあります。
たとえ太陽の光であっても通さぬとたな引いているかのようです。しかし、阿弥陀さまの救いのみ光はだけは、どれほど遮りがあろうとも、もろともせずに通りぬけて私たち人間を照らし出して下さいます。どれほど身勝手な煩悩に包まれていようとも、照らし出し、決してあなた一人で生きているのではないことを気づかせていただくのです。
元プロ野球選手が少年野球教室に招かれてキャッチボールを教えていました。しかしながら皆バラバラ、ボールをあっちへ投げたり、こっちへ放ったり、投げられた方ももちろん捕れません。
「踏み出す足を相手に向けて投げなさい」
元選手が言うと、すぐにボールは相手の胸もとに。驚いたまわりの人が感心すると、
「いいえ、相手の球を受けるナイスボールと声が出てはじめて、共に野球をしようとする大事な心が生まれ、育つのです」と。
私たちも、相手を思いやることでこの人間社会を形成しております。しかし、煩悩に遮られて中々うまくいかないのが現実です。そんな私たちに遮るものなしと、平等に救いのみ光を放って下さるのが阿弥陀仏さま、そのみ光を心に思ってどうぞ南無阿弥陀仏とお称え下さい。そうすると、他者を思う大事な心が育ち、私一人で生きるのではない阿弥陀仏さまとの共ぐらしがかなっていくのです。
合掌
京都 大善寺
羽田龍也