今月の法話

平成22年3月

無量寿・無量光

 阿弥陀如来様のお名荊はどんな意味があるのでしょうか。
 「アミタ」とはインドの古い言葉サンスクリット語で「ア」は否定形である事をあらわし、「ミタ」とは はかる ということだそうです、即ち「アミタ」とは、はかることができないという意味で「無量」と訳します。
 では何がはかりしれないのでしょう。

 アミタの下に「アーユス」「アバー」という言葉をつけ、阿弥陀様の正式なお名前は「アミターユス」「アミターバー」となります。アーユスはいのち(寿)、アバーはひかり(光)という意味で、阿弥陀様のお名前は、無量寿・無量光となるわけです。

 どうしてそのようなお名前が付いたかというと、阿弥陀様のご寿命ははかりしれないので時間に関係なく今でも問違いなくいらっしやいます。そしてお救いのみひかりは何も遮ることができないほどはかりしれないのでどのようなところにいても私たちを見守ってくださるのです。つまり阿弥陀如来というお名前は「いつでもどこでも」私たちのそばにいてくださる仏さまという意味があるのです。

 ここで少し違う見方をして見ましょう。

 私たちはいのちをいただきこの世に生まれ今生きています。しかし私たちのいのちが今あるのには、はかりしれないご先祖からのいのちの流れの中に生まれてきました10代前のご先祖の数は単純に計算すると1024人になります。20代で1048576人、30代では1073741824人になります。途方もない数ですがこの中一人でもそのいのちがなかったら、私はいないのです。

 ご先祖のことを昔は「お蔭様」といったという説があります。なにか嬉しいこと、喜ばしいことにであったときに「お蔭様」といいますが。そうですこの世に生まれなかったら喜べなかったのです。

 お蔭様→ご先祖→はかりしれないいのちの流れ→無量寿→阿弥陀様

 次に今生きている私たち、太陽のひかりがちようどいい具合に地球にそそぎ、水が存在しいのちが生まれ、またそのいのちをいただいて今私たちを生かしてくださっているのです。辞書を引くとお蔭様は目に見え、また見えない恩恵と出ていました。

 お蔭犠→天地の恩恵→はかりしれないひかり→その象徴である太陽→無量光→阿弥陀様

 こう考えると珂弥陀如来というお名前は「お蔭様」という意味であり、私たちは生まれてきて生きているのではなく、産まれさせていただき生かされていることを教えてくださるありがたいお名前と私は思っております。 おかげさまという言葉がたくさん言え、また聞こえる生活がしたいものです。

合掌

東京 念佛寺
中野隆英

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