今月の法話

平成23年3月

彼岸とお念仏

 彼岸とは五濁悪世の此の岸に対し、悟りの世界である彼の岸の意味。到彼岸はインドの古代語でパーラミター、漢字をあてて波羅蜜とも言い、波羅蜜とは彼の岸、悟りの世界に行く為の修行を意味し、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つで六波羅蜜。その六波羅蜜を修行し、悟りの世界に到ろうと言うのが彼岸の意味でしたが、今では彼岸はお墓参りの日とされているようです。勿論、御先祖様のお墓の前で感謝したり、供養したりするのも立派な波羅蜜の一つですが、彼岸はお墓参りをするだけの日ではなかったのです。

 元祖法然上人様は極楽往生の行は念仏の一行を選び取って他は捨てるべしと仰っておられます。では、お墓参りも六波羅蜜も要らないのでしょうか?いいえ、元祖様は『決定往生の信をとるうえは、他の善根に結縁し助成せむこと、またく雑行とはなるべからず、わが往生の助業となるべきなり』と仰っておられます。決定往生の信とは阿弥陀様の本願であるお念仏を称えれば必ず西方浄土に往生させて頂けると信じきった心と言う意味です。 つまり、如来様の本願を信じきってお念仏を称える人には六波羅蜜も往生の助けとなると仰っておられるのです。『南無阿弥陀仏と申して疑いなく往生するぞと思い取りて』とお念仏を申させて頂く心を説いておられますが、これが決定往生の信なのです。彼岸とは、お墓や本堂でお念仏を称える日だと覚えて下さり、お念仏にご精進なさる事をお祈り致します。

合掌
                            

京都 光福寺
伊藤雅彦

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