今月の法話

平成23年5月

親として

 今年の年賀状に、知人の和尚様が妻の妊娠に触れ、
「受け難き人身を受け、ようやくお念仏との出会いですね。」
と書いてくださった。まさにその通り。よく我が子として、お腹に宿ってくれたと思う一方、よくぞこの世に身を受けるほどの善根功徳を積んできてくれたと、改めて喜んだことである。
仏教でこの世に生を受けることが有り難いというのは、前世においてそれほどの功徳を積んできたということと、人の世には、仏法が広まっているということである。単に先祖があって、今の自分がいる、ということだけではない。自分には親がいて、そのまた親にはその親が…ということくらいは、法然上人の時代以前から当然わかっていた事実である。そのことを改めて有り難いという記述は法然上人のご法語には見当たらない。一人一人の存在が尊いのは、まさにこの輪廻の中で、人の世に縁をいただいたということなのである。
 しかしながら、人はこの世に生まれると同時に、今度は、人の世の苦しみに向かっていかなくてはならない。時に「おかげさま」と頂いていたものも牙をむく、それもこの人の世であろう。
 ならば、親として子に伝えよう。お経に説かれたこの世の現実を。三部経に説かれる浄土の所在を。「この世を厭い、浄土を目指せ」と、我が子に示せる存在でありたいと願う。

鳥取 大善寺
米村昭寛

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