今月の法話

平成23年7月

世間の喜びと出世間の喜び

 山峡の地から徒歩とバスを乗りついで、よくお寺詣りに来られたS奥さんが、先年84歳で立派な往生をとげられました。 S奥さんは生前「私はお寺詣りをさせていただくのが一番の喜びです。」とよく娘さんに話しておられたそうです。お寺にお詣りしていただいても、特別ご馳走がでるわけでもないのですが、その「喜び」というのは、心に響く法話を聴く楽しみであり、お経を読み、南無阿弥陀佛とお念佛を申すことで阿弥陀如来様と心通わす喜びです。
 この喜びは清らかな喜び、つきぬ平安の楽しみ、魂の喜びで、「出世間の喜び」といいます。
 それに対してもうひとつの楽しみがあります。例えば、ご馳走をいただいたり、旅行に行く楽しみ、娯楽テレビを見る楽しみ、買い物の楽しみ等種々あります。この喜びも生きていくうえで大切ですが、この喜びはひと時の喜びで長く続かないばかりか、あとに清らかさを残さない空しさの残る喜びです。
 「テレビ見てひとり笑いしのそのあとで何とも言えぬむなしさのあり」と詠んだ人があり、「歓楽きわまって哀愁を感じる」とも言われます。一般に人は世間の喜びを追い求めつづけていくのが普通の人の一生です。しかしながら「出世間の喜び」こそが真の幸福の世界であり、西方極楽浄土へと導いて下さる喜びであります。
 どうか「出世間の喜び」を求めお念仏ご精進していただきたいものです。

合掌

奈良 西迎寺
中村晃和

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