今月の法話

平成24年7月

行く先が見える

 一人の老人が住んでいました。勤勉で正直者でありましたが、親族もなく地位や財産もない貧しいお方がおられました。
 野良仕事の帰り道にお寺の門前で、手を合わせる老人の姿を見た村の若者たちが「ナァ爺さんよ、お前は人と生まれて金もなければ名もなくて、なんと甲斐性のない生活をしているのか。働きづくめで、朝夕、行き帰りには寺の前で念仏称えて、なんとつまらん一生か」「爺さんを銭の値にかえれば最低の一文銭」と軽蔑の言葉を投げつけます。

 一心に拝んでいる老人に、愛想をつかせた若者たちが立ち去ろうとしたときに「ワシが一文銭なら若い衆、お前さんたちはどれ位の値か」と老人は声をかけます。
 若者たちが「おれたちには未来があるから金ピカピカの小判だ」と答えると「一文銭は穴が開いているから先が見える。小判はその輝きで行く先が見えんだろう。つまづいてころばぬように気をつけてな」と諭したそうです。

 宗祖法然上人は「七珍万宝は蔵に満てれども益もなし」と、この世で得た財産は、後の世には何の役にもたたないと仰せになられ、行く先を見据えた信仰生活をお勧めなっておられます。
 その信仰生活とは、阿弥陀さまの「我が名を呼ぶものは、必ず救う」のお誓いを信じ、「南無阿弥陀仏」のお念仏をお称えする外にはありません。行く先は「西方極楽浄土」!

合掌

北海道第二 天龍寺
松岡玄龍

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