今月の法話
平成24年11月
お念仏は心の寄る辺
知人に小咄を得意とする方がいる。先日、寺に来てこんな笑い話をして行かれた。
あるお坊さんが道をあるいていて懐中時計を拾った。前方から急ぎ戻ってきた人が「あゝ良かった、それは私が落としたものです」と。その人はお医者さんであった。
そこでお坊さんは「医者が見放したものは、坊主のものです」と言って返さない。困ったお医者さんは「じゃあ今一度だけ私に診せてください」と手に取り、すぐ耳元に近づけると音がする。「あ、まだ脈がある。やはりこれはまだ医者の私のところに置きましょう」と。 そのとおりだと皆笑った。しかし、私たち僧侶は、亡くなった方へのお世話 (ご供養)などを通して、まだ《脈》のある方々にこそ大切なものをお伝えしたいのである。お釈迦様は、この世の正しい生き方としての法を説かれた。そして元祖法然さまは、その教えの中から、心の寄る辺を持たず、不安で苦悩する私たちにはお念仏しかない、と気づかれ、お念仏による救いの道をお示しくださった。阿弥陀さまの救いを信じてお念仏の生活をすれば、この世も安心、後の世も保証されるという、まさに不安な今を生きる私たちにとって「暗夜に灯火」の、有り難い教えなのである。
『生けらば念仏の功つもり、死なば浄土へ参りなん。とてもかくても此の身には、思い煩う事ぞな きと思いぬれば、死生ともに煩いなし』と。
これは法然さまが常々おっしゃっておられたお言葉である。身も心も弱い私たち、その至らなさを思うにつけても、今生きているうちに法然さまのみ教えにあづかってしっかりとお念仏にいそしんでいきたいものである。
合掌
栃木 法蔵寺
長田善生