今月の法話

平成24年12月

見ていて下さる

 健康について気にされる方は、最近とみに多いようです。私は特に気にしている方ではないのですが、ただ愛煙家で、そのことはいつも周りから指摘をされます。
  私の町の保健課の職員は住民の健康管理に大変に懇切熱心で、健診などことあるごとに私に禁煙を勧めてくれます。ですが凡夫の悲しさ、なかなかに止められないのが実情です。
  先日その保健課の保健士の方から電話がありました。「今度○○日に煙草を吸う方対象の健康登山があるのですが、参加されませんか?」と。残念ながらその日は予定が入っており都合がつかないので、「申し訳ありません」と参加を辞退したのですが、電話を切ってしばらく嬉しくなりました。
  私が煙草を吸う、それが健康によくないから何とか止めさせようと気にかけていてくれる人がいる、ということに嬉しくなったのです。彼女(保健士の職員)にしてみれば仕事の一環なのですが、私という喫煙者の存在を「何とかせねば」と気にかけ、「登山」という方法で禁煙を実現させようとしてくれている。禁煙ができるかどうかは別として、「気にかけ見ていてくれている」ということが嬉しかったのです。
  誰もみんな、孤独でいろんな不安を抱えています。現代は特にそうかも知れません。だけど自分のことをずっと見ていてくれる人がいると思えることで、嬉しく心強く、そのことが支えとなって、気持ちまでが穏やかに温かくなってきます。
たとえ世の中の誰が見捨てようとも、阿弥陀様だけは私のことを心配し、気にかけ見つめて下さっています。「大丈夫だ、私がお前を引き受ける。受け止めるぞ」と大慈大悲の心で「我が名を呼べ」と、手を差し延べて下さっています。
そのことに気づけば、私たちはこの世界を安心して生きていくことができます。私たちはその阿弥陀様のみ心に気づいて、ただ「南無阿弥陀仏」とお唱えするだけです。

合掌

福井 浄国寺
佐野純雄

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