今月の法話
平成25年5月
仏さまの願いを聞く暮らし
風薫る五月。風に香りを感じとるように、お念仏の中に阿弥陀さまの願いを頂戴できる毎日でありたいですね。
「甍の波と雲の波」で始まる唱歌『鯉のぼり』の三番に、
〈百瀬の滝を登りなば、忽ち竜になりぬべき、わが身に似よや男子(おのこご)と、空に躍るや鯉のぼり〉とあります。「わが身に似よ」と親の願いの自信が溢れております。現代人にそんな生き方ができているでしょうか。
ある日の新聞には次のような歌が載っていました。
〈どれだけの覚悟で言ったことなのか君は知らない「好きにしなさい」〉(今村こず枝)。選評に「一語に籠めた母親の覚悟」とありました。
親が子に願いをかけるように、私たちには仏さまの大きな願いがかかっています。わがままな私たち凡夫にかけられている仏さまの願いは、あらゆる衆生を救おうという利他の願いであり、私を包み込んで下さっています。お念仏が有り難いのは仏願であるからです。仏の願いに耳を傾けていくことが仏教徒の基本です。お念仏で救われるのだから何をやってもいいのだ、ということではありません。
法然上人は「仏は一切衆生を哀れんで善人も悪人もお救いになりますが、善人を見ては喜び、悪人を見ては悲しまれるのです」と説き、「善き地に善き種を蒔かんがごとし」とお示しです。
仏さまの願いを聞く暮らし、即ち、喜んでお念仏を申す身をもっての、「わが身に似よ」でありたいものです。
合掌
長崎 長徳寺
日下部匡信