今月の法話
平成25年10月
どう受けとめる
何事も受けとめ方によって大きく違ってまいります。
仕事に疲れて帰って来たお父さんが、夕食の時「おい、この漬物よく切れてないじゃないか。」と言ったときに、奥さんは、「ああ、ご免なさい。今切り直ししますわ。」と言えば丸く収まるのですが、奥さんにしてみれば、少ない給料の中から毎月やり繰りしていて、すり減ったまな板、使い込んだ包丁、買い換えたいのだけど我慢して使っているのを思わないで、よく漬物が切れてないのと言えたものだと腹が立ち、「あんたの給料いくら」と受けたからたまりません。ついに夫婦喧嘩が、始まり、大事に発展したということです。
私たちは、ついつい自分のことしか見えないのですが、法然上人は、周りの人のことをいつも想いわれていて、法然上人が75才の時、罪なくして四国の讃岐に島流しにされ、念仏停止という法難を受けられました時でも、法然上人は、ご高齢のお身体に島流しという辛い目に受けながら、これを「年来の希望である都から遠く離れた地方の人々に念仏の種を蒔くよい機会を与えられた事は実に朝廷のご恩」と、良い心に転換して喜ばれる受けとめかたをなされたのでした。
また、念仏停止の勅が出ている時は、念仏のお勧めは控えられたらというお弟子に、「私はたとえ死刑に処せられるのであっても、この一向専念の教えの御念仏称えないわけにはいかない」と。
あらためて、法然上人の広い心の受けとめ、深い信仰を、教えられることです。
合掌
三河 長壽寺
神谷真章