今月の法話

平成26年2月

自分の心をみつめる

 あるテレビ番組でベテランの気象予報士が「最近の気象予報士は表現の仕方がなっていない。明日は良い天気、明日は悪い天気と番組で口にする。天気は、晴れ、曇り、雨、と表現の仕方がある。どうしても良い、悪いと口にしたいのであれば、自分達に都合の良い天気、自分達に都合の悪い天気と言うべきだ」と話していました。
 なる程、晴天が1ヵ月も続けば晴れた日でも悪い天気になっていく。これが逆になっても同じ事でしょう。天気一つとっても自分の都合でころころと変わるのです。
 どうでしょうか、自分自身の心を見つめた時、私達は何事でも自分の都合の物差しで物事を計ってはいないでしょうか。都合の物差しとは結局の所、自分が「好きか嫌いか」「損か得か」の物差しです。
 仏教ではこれを愚痴の煩悩といいます。そしてこのような心で迷い悩みを持つ人間を凡夫といいます。
  「渋柿が 甘柿となる 陽の恵み」
 甘柿は色付き始めると固いうちに収穫されます。一方、渋柿は固い間は食べられません。若い内は何の取り柄もない渋柿ですが、太陽の恵みを頂くうちに自然と渋が甘味へと生まれ変わります。煩悩は生きていても死んだ後も皆、自分を地獄に落とす心の渋であります。しかし信心を起こし、自分を見つめ、仏様にすがる心にてお念仏を称えれば、心の渋が仏様の光明に照らされて凡夫のままに救われていくのです。
 浄土宗を開かれた法然上人は「智慧第一の法然房」と仰がれたお方です。しかし、法然上人はご自身一言もそのような事はおっしゃっておられません。「自分の力では救われようのない愚かな私である」とご自身を深く見つめられ、只ひたすらに阿弥陀様におすがりし、お念仏申されました。
 私達も自分を見つめ、阿弥陀様を信じ、お念仏を称えていきたいものであります。      

合掌

長崎 法樹寺
大西文生

バックナンバーを見る