今月の法話
平成26年4月
生理的早産
「人間は生まれながらにして生理的早産」とは、ある生物学者の言葉であります。
馬や牛は産み落とされると、自らの脚で立ち上がり、直ぐに歩こうとします。果して
人間は、10カ月以上もの間、お腹の中で育まれながらも、生まれて直ぐに立つことさえ
できないのであります。そのような事を、「生理的早産」と言ったのでありましょう。
それは、人間の赤ん坊の頃を、記憶に留める事が出来ませんし、成長して大人になり、
社会的立場に身を置く今日でさえ、多くの力に支えられなければ生きていけないのに
気づかないのです。つまり、我々は誰も一人で生きてはいけません。心身共に、生きて
いる人間に完成などなく、いつまでも未熟・未完成な存在が、人間と言えるのではない
でしょうか。
私の母は洋裁が得意で、子供の頃の洋服はいつも母の手作りでありました。そして洋服に限らず、私が生まれてから、必用となる衣類や物は、全て母の手によるものであることを気づかず、ずっと後に知るのでした。つまり母の私への愛情は、私が生まれてくる前から、ずっと注がれていたのであります。
このような親の恩にも気づかない私たちに、 阿弥陀様は自分一人で生きていけない
未熟な私共だからこそ、お慈悲を注ぎ、救いの正客として、親の子を思う心のように我々が生まれるずうっと前に阿弥陀様がご用意されたのが、お念仏の御教えであります。元祖法然上人が、心血注いで説き明かされたこのお念仏によってしか、私共は救われる術がありません。報恩謝徳の意を込めて、一層のお念仏を申しつつ、新たな年度のスタートを切りたいものです。 共にお念仏を申しましょう。
合掌
滋賀 西福寺
稲岡純史