今月の法話

平成26年8月

 あるお檀家さんから、「おしょうさん、お墓へはいつ納骨すれば良いですか? お墓へ納めてしまったら本当に居なくなってしまうようで、寂しいから、しばらくはお骨を手元に置いておきたいのですが。」というご相談を受けました。皆さんはどう思われますか?
  納骨の時期は地域の習慣や個々の思いにより違いますが、ご遺族様のお気持ちの整理が付かれたときに納骨されればよいと、私は考えております。 ですから、このお檀家さんには、「しばらくはお家に置いていて下さっても大丈夫ですよ」と、お答え致しました。
 けれども、亡くなられた方のお体であったお骨を粗末にするわけにはまいりません。
ご自宅で大切にお祀りするのであるならまだしも、お骨が埃まみれになっているようでは困ります。お墓にお納めすることにより、ご家族だけではなく、ご親戚やご友人などご縁の方々もお参りしやすくなるのも事実でありますから、気持ちを切り替えることができたならば、納骨してお墓参りをして頂くのも有難いことだと思います。
 愚僧も本年五月末、一周忌に合わせて、父の遺骨を埋葬致しました。それまでは遺影と共に祀っていたのですが、いざ埋葬してみると、「ああ、本当に極楽へ旅だって行くんだなあ。」と、寂寥(せきりょう)の感を覚えました。父は自分の意見を人に押しつけるタイプの人でしたから、隠居してからも口うるさく、煙たがられておりましたが、その小言さえ今は懐かしく思い出されます。
  だからこそ、私たちは、良い思い出を沢山思い出すように、お墓参りをし、お念仏をお称えするのです。
 法然上人は、〝南無阿弥陀仏と称え給えば、住所は隔つといえども、源空に親しとす。源空も南無阿弥陀仏と称えたてまつるが故なり。〟と、おっしゃいました。お念仏を称えていれば、たとえ住んでいるところが離れていても、御念仏の絆で親しい関係になれ、お互いをお念仏が結び付けて下さるのです。
  八月は多くの地域でお盆の行事が行われます。お墓参りにおいでになる方も多いことでしょう。
 「親の背を 流すが如く 墓洗う」と、今はあの人に、御馳走はできないけれども、お好きだった物をご仏前にお供えさせて頂く。今はお風呂で背中を流してあげる事はできないけれども、優しく背中を流してあげるように、お墓のお掃除をさせて頂く。そして、心の通うお念仏をお称えさせて頂くのです。誠に貴いことであると存じます。お念仏が亡き方々と自分達を結び付けて下さる。お念仏を通して、大切なあの方と今も一緒に居る。寂しくはないですよ。どうぞ、大切な方の為、ご自身の往生の為、合掌してお念仏をお称えくださいませ。

合掌

大阪 浄念寺
坂下雅裕

バックナンバーを見る