今月の法話

平成27年2月

「いけらば念仏の功積もり 死なば浄土に参りなん 

   とてもかくてもこの身には 思いわずろうことぞなき」(法然上人御詠)

 今年は、阪神淡路大震災の20年を迎える年です。私は、何度も「1.17のつどい」に参列し、浄土宗青年会で救援物資を運んだボランティアのことや、貴い犠牲になられた人達に総本山知恩院職員の皆様と斎場で南無阿弥陀仏と回向し涙を流したことが、走馬燈のように浮かび上がってきます。

 その時に、ある御住職から聞いたお話ですが、ご主人を亡くされたお婆さんが、簡単な葬式も終わり暫くたった時に来られ、御住職に「周りの人が、神も仏もあるものかと言うのです。御念仏申した主人が亡くなり、御念仏申さなかった私が助かったのは合点がいきません。阿弥陀様は、おられるのですか。」と聞かれたのでした。和尚さんは、「私には、何故奥様が助かり、ご主人が亡くなられたのかは、分かりません。死の縁無量と死に出会われたのです。阿弥陀様は、必ずおられ救って下さいます。素直な心で一緒に信じましょうよ。」と言われたのでした。そして、奥様は、涙を流して、「そうですよね。阿弥陀様 は、必ずおられますよね、極楽は必ずありますよね。そうでないと、あの主人のいまわのきわのお念佛、悲しすぎますものね。これからは、耳の底に響いている主人の御念仏に縋ります」といわれたのでした。

 坂村真民先生は、「死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある そんな時お寺を訪ね わたしはひとり 仏陀の前に座ってくる 力わき明日を思う心が 出てくるまで座ってくる」とあるように、人生の本当に苦しいときこそ、お寺に参り、お念佛を申し阿弥陀様の支えが必要になってくるのです。

合掌

大阪 法善寺
神田眞晃

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