今月の法話
ひぐらし
毎日、犬をつれて朝と夕方の二回散歩をしております。夕方に鎮守の森を犬と歩いておりますと、森の中のそよ風と共にひぐらし蝉がカナカナカナと鳴いています。ひぐらしの少し物悲しい鳴き声を聞くと、いつも幼いころに育った故郷の情景が思われ、今は亡き父母の事が懐かしく偲ばれます。
私の田舎は、三方を山に囲まれた谷間に80軒ほどの民家が点在する山村です。夏は涼しく、冬は雪が多く降り、春夏秋冬に自然が織りなす、風景の素晴らしい所であります。特に夕日が田畑を通して山間に真っ赤に沈んでいく、その中でひぐらしがカナカナカナと高く美しい声で鳴いている情景に、あたかも阿弥陀さまのまします極楽浄土の様相が偲ばれてまいります。幼いながら母親に習って小さな手を合わせて、夕暮れの真っ赤な太陽を拝んだことが昨日の事の様に思い出されます。
カナカナや 遠き国より 母の声 (奥田幾治朗作)
「ひぐらし」は漢字で「蜩」又は「茅蜩」と書きます。「蜩」と云う字も虫の調(しらべ)と読むことができ、美しい音楽を奏でる蝉と理解すれば、誠に有り難い字でありますが、私はやはり、「ひぐらし」は「日暮し」と書いたほうが、日常生活に溶け入った蝉であるように思われます。
蝉には五種類ほど有ると言われ、ミーンミーンと声高に鳴くミンミン蝉、ツクツクホーシと鳴くつくつく法師蝉、ジージーとしぼり出すような声の油蝉、シャアーシャアーとやかましく鳴く熊蝉、カナカナカナと鳴く蜩蝉など、姿も鳴き方もそれぞれに違い、まるで人間社会の縮図を見るようであります。
「蝉は七日の寿命」といわれるように、幼虫の時は永い年月地中に生き、ようやく地上に出たかと思うと、わずか七日の間あらん限りの声を出しきって一生を終えて静かに逝くのです。このことを思うと世の無常を感ぜずにはおれません。
「阿弥陀仏と心は西に空蝉(うつせみ)のもぬけ果てたる声ぞ涼しき」
このお歌は、元祖法然上人が大阪の四天王寺に詣でられて、西門の辺りに草庵を結び、沈みゆく美しき夕日を拝まれ、お念仏を称えて日想観を修せられた時のものです。
お歌の意とするところは、「西方にまします阿弥陀仏をお慕いして、お浄土を願い日暮の中で一心にお念仏をお称えすれば、あたかも蝉の抜け殻のように、何もかも打ち忘れて、苦しみや悩みから抜け出して、すがすがしい声でお念仏を喜ぶことが出来るのである。」というものです。
まだまだ暑い日が続き、蝉の声も一段と賑やかに鳴いております。お盆を迎えて蝉の声も聴き方を変えて、阿弥陀様のお慈悲の声また、今は亡きご先祖さまや有縁の声とお受け取り頂き、日暮らしの中にお念仏をお励み戴きたいものであります。
合掌十念
滋賀 西照寺
堀立瑛